最近のサイバー脅威の中でも、ランサムウェアは最も深刻な攻撃の一つになっています。企業や組織のシステムを暗号化することでロックし、業務を停止させ、莫大な身代金を要求するこの犯罪行為に対し、多くの組織は困難な決断を迫られます。

この記事では、ランサムウェア攻撃者との「交渉」という、現代の危機対応において避けて通れないテーマについて解説します。

日本の企業の場合、交渉を行うケースは少ないようです。ですが、時に交渉はより優位な状況を創り出す役割を果たします。

ただし、一つ強調しておきたいのは、身代金の支払いを推奨しているわけではないということです。支払いは犯罪組織に資金を提供し、将来の攻撃を助長する行為であり、原則として推奨されません。

しかし、現実的な被害の最小化という観点から、交渉がどのような役割を果たすのかを理解することは、危機管理において極めて重要です。あらかじめ選択肢に入れておくことは、有事に備えた賢い対応だと言えるでしょう。

状況を一変させた「二重恐喝」の脅威


ランサムウェア攻撃における交渉の重要性が増している最大の理由は、二重恐喝(Double Extortion)という手口が一般化してきたことです。

以前のランサムウェア攻撃は、単にデータを暗号化し、復号鍵と引き換えに身代金を要求するものでした。

しかし、現在主流となっている二重恐喝の手口では、攻撃者は暗号化を行う前にまず機密データや個人情報を盗み出します(データ窃取)。

この手口により、企業が犯罪者に対して行う要求は以下の二つになります。

・暗号化されたデータの復号鍵の提供。
・盗み出したデータを公開しない(リークしない)ことの保証。

この「データ公開」という脅威は、身代金を支払わずにバックアップからシステムを復旧できる組織にとっても、極めて大きな問題となります。

GDPRやCCPAのようなデータプライバシー規制の強化により、機密データの漏洩は法的な罰則がありますし、顧客からの信頼失墜、そして甚大な信用の毀損に直結するためです。

盗み出されたデータが人質となっている状況では、攻撃者とのコミュニケーション、すなわち交渉を通じて、データの安全性を確保するための道筋を探ることが、ますます不可欠になっているのです。

交渉の具体的な目的と効果


交渉は単に身代金の額を決めるためのやり取りではありません。交渉のプロセスには、攻撃者側の意図を探り、組織に有利な状況を作り出すための複数の戦略的な目的があります。

1. 時間稼ぎ(インテリジェンス収集と復旧準備)


交渉の最も重要な初期目的の一つは、時間稼ぎです。

復旧作業の猶予を確保する


交渉を始めることで、組織はランサムウェアにより暗号化されたシステムを再構築したり、盗まれたデータの範囲を特定したりするための貴重な時間を稼ぐことができます。

攻撃者は交渉が続いている間は、すぐにはデータを公開したり、システムをさらに破壊したりする行動に出にくい傾向があります。

攻撃者のインテリジェンス収集


交渉の過程で、攻撃者の言語、コミュニケーションスタイル、要求の変遷などを分析することで、彼らの正体、組織、プロ意識、そして真のモチベーション(金銭なのか、破壊活動なのか)についてインテリジェンス(情報)を得ることができます。

これにより、身代金要求の真偽や、支払った場合に復号鍵が得られる可能性を判断する材料になります。

過去に複合鍵の提供を行った実績のある犯罪者グループが相手であれば、身代金支払いという選択肢も浮上してきます。

そうでなく、身代金を支払ったにも関わらず情報をリークされた場合などは、相手に対する信頼性が低下します。

このように相手の情報を入手することは、大きな判断材料になるのです。

2. 身代金の値引き(コスト削減)


交渉は、提示された身代金の額を大幅に引き下げるための有効な手段となり得ます。

戦略的な値引き


ランサムウェア攻撃者は、多くの場合、最初に法外な金額を要求してきます。ふっかけてくるというわけです。

プロの交渉人は、組織の規模、保険の有無、被害の状況、復旧にかかる時間など、様々な要因を基に論理的な根拠をもって値引きを要求します。

市場価格との比較


攻撃グループによっては、過去の事例を参考に、支払われる可能性のある上限額をある程度把握しています。

交渉を通じて、現実的かつ支払い可能な水準まで金額を引き下げることが可能です。数十パーセントの値引きが実現することも珍しくありません。

事前準備とプロの活用


交渉を有利に進めるために

効果的な交渉を実現するためには、攻撃を受けてから慌てるのではなく、事前準備と専門知識の活用が不可欠です。

1. 交渉ポリシーの事前検討と策定
すべての組織は、インシデント対応計画の一環として、ランサムウェアの交渉ポリシーを事前に策定しておくべきです。


レッドライン(譲れない一線)の定義

身代金支払いの上限額:保険の適用範囲や財務状況に基づき、支払うことが可能な最大額を決定します。

交渉開始の条件


バックアップからの復旧が不可能、かつ窃取されたデータが極めて機密性が高い場合など、交渉を始める条件を明確にします。

禁止事項


特定の国や団体への送金禁止など、法的な規制を事前に確認しておきます。

意思決定プロセスの確立


誰が交渉を開始・継続・停止する権限を持つのか、身代金の支払い承認は誰が行うのかを明確にし、迅速な意思決定が可能な体制を整えます。

2. プロの交渉サービスの利用
ランサムウェア攻撃者との交渉は、感情的になりがちな状況下で、冷静かつ戦略的に進める必要があり、非常に専門的なスキルが求められます。


* 専門知識の活用: インシデントレスポンス(IR)企業やサイバーセキュリティ保険が提供する専門の交渉担当者は、攻撃グループごとの過去の行動パターン、交渉戦術、身代金の相場などを熟知しています。

冷静な対応


彼らは感情を排し、攻撃者の心理を読み取りながら交渉を進めます。これにより、不用意な情報開示を防ぎ、交渉の主導権を握ることが可能になります。

感情的に交渉を行ってしまうと、攻撃者の機嫌を損ねて破談、即リークに繋がる危険性もあります。攻撃者はビジネスライクに接してきますので、こちらも冷静に対応する必要があります。

法規制と支払いの実行


身代金の支払いが決定した場合、専門家は法令遵守(特に制裁対象者への支払いの禁止など)を確認しながら、暗号通貨での複雑な送金プロセスを安全に実行します。

まとめ:交渉は最善の策ではなく、危機回避の選択肢


ランサムウェア攻撃者との交渉は、最終手段の一つであり、最善の策は常に強固な防御と迅速な復旧能力を持つことです。

日頃からの多要素認証の徹底、定期的なセキュリティパッチの適用、そして何よりも信頼性の高いオフラインバックアップの確保こそが、交渉の必要性をなくす最大の防御策です。

しかし、もし最悪の事態に直面し、二重恐喝によって組織の存続が危ぶまれる事態となった場合、プロフェッショナルな交渉は、時間を稼ぎ、身代金の額を合理的な範囲に抑え、被害を最小限に食い止めるための重要な「危機管理の選択肢」であることを理解しておく必要があります。

どの組織にとっても、攻撃を受ける前に「交渉を行うかどうか」「行うとしたら誰が、どのような条件下で」というポリシーを検討し、準備しておくことが、現代のサイバーセキュリティ戦略の重要な柱となります。